「メディアリテラシー」という言葉が教科書にも掲載されるようになって久しいです。
まず、頼みのWikipediaに寄ると、このようにあります。
メディア・リテラシーとは、メディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージを調べ、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力である。また、用語としてのメディア・リテラシーはメディア・リテラシーの実践や運動を含む。
そしてこちらは総務省が示すメディアリテラシー。
メディアリテラシーとは:
次の3つを構成要素とする、複合的な能力のこと。
- メディアを主体的に読み解く能力。
- メディアにアクセスし、活用する能力。
- メディアを通じコミュニケーションする能力。特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティブ) コミュニケーション能力。
まあ大体言ってることは同じです。
私がワードとして突筆して拾いたいのが、Wikipediaの「批判的に」の部分と、総務省の「主体的に」の部分です。
批判的に、というのは、簡単に言うと、まずは疑ってかかれという意味です。
主体的に、というのは、自分事として情報を捉えろという意味です。
そして、そのために、必要なのが、客観的な情報をどれだけ集められるかです。
オールドメディアを批判するのは簡単です。
同調意見を探し出すのも簡単です。
でも大事なのは、自分の意見が、俯瞰して見たときにどの位置付けにいるのかをどれだけ冷静に見られるかです。
そしてこの俯瞰して見るときの情報が、なるべく偏りなく様々な意見が入り乱れていたほうが良いわけです。そのほうが「そういう意見もあるんだなあ」と俯瞰しやすくなるからです。
ところがです。
自然と入ってくる情報が、その時点で既に大きく偏りのあるものだったらどうでしょうか。
オールドメディアに関しては、 NHKを筆頭に、中道を見せかけながら左寄りです。
ただこれはマスコミの歴史を学べば理解できます。
それより怖いのが、YouTubeなどのニューメディアです。
というのも、自分が検索したワードや、閲覧した動画に対して、関連する動画、興味を持ちそうな情報が自然と集まってくるようになっています。
なので私のYouTubeの最初に開いたときの画面に映し出されるのは、私が賛同してきた意見を持つ人達の動画群です。読者登録しているっていうのは人為的にありますが、検索しただけで関連物が上がってくるのは、如何に客観的に物事を見ようとしているかという人間に対して、なかなかの脅威です。
しかも元々同調しているものが集まってきますから、より個人のそのイデオロギーを加速させる方向に働きます。
だからこその「メディアリテラシー」なのでしょうが、簡単に言うなよwwwという感じです。
元々のGoogleのアナリティクスは購買意欲を高まるための目的で搭載された機能だとは思うのですが、既に私達はGoogleの手中にハマっているのかもしれません。
Googleだけじゃないですね。
Googleを含めた所謂GAFAによって既に人類は支配されていると言っても過言ではないかもしれません。
これからは「正しい」情報に対する価値がどんどんなくなっていくのかもしれません。