「時間ってなに?流れるのは時?それともわたしたち?」
10代の哲学さんぽシリーズの第10弾。
楽しく人生を過ごす上で大切なものとして、
健康・お金・時間
があると思って生きているんだけど、
健康は健康本とか健康ネタとか腐るほどあるし、お金に関しても金融教育とか、マネーリテラシーとか、最近は関心も高まってきた。
でも、「時間」に対しての理解となると、意外と時間について考える機会が少ないことに気づく。
健康は健康状態の良し悪しは目に見えて分かりやすいし、お金は現金を見れば視覚で理解できる。
でも時間って、目に見えにくいし、物質で時間を見える化しようとしたら、砂時計とか、経年劣化とか、つまり、健康やお金と比べるとややイメージしにくい概念である。
目に見えないものを扱うとなるとどうしても哲学的になる。
そんな本書。
読んで感じるのがまず、時計の時間と、実際に過ごす時間は違うということ。
自分は今41歳で、10年単位で区切ると、この31〜40歳の10年間は1番体感が速かった。
生まれてから10歳くらいまでが1番長かったんじゃないかな。
だから、40代は、30代よりも2倍くらいの体感速度で過ぎていくんじゃないかと考えている。
そしてもう一つ。
時間に関しての可能性をシンプルに生きる時間として考えると、若いほど有利だ。
もちろん寿命は人それぞれだから、一概には言えないけど、一般的に言えば、80歳のおじいちゃんよりも、生まれたての赤ちゃんのほうが生きる時間がある。
お金は大人になってから金持ちになるとかあるし、健康面も大人になって免疫力が上がって元気に動けるようになるとか、あり得るけど、時間っていうのは基本的には若ければ若いほど良い。
だから、若いほど時間の尊さがイメージしにくい。
自分は昨年癌になったとき、はじめて死を意識した。死を意識すると言うことは、あとどれだけ生きられるのだろうと、時間を意識したということだ。つまり、時間の尊さは、良い大人であっても、例えば私で言う癌になったことのように、何か大きいことでもないと、意識できないものなのだ。
でもそれを若いうちに意識できたとしたら?
それは、時間の有限性であり
命の有限性。
人生は原則一度切りだ。
前世とか後世とかあるらしいけれど、自分の意識下においては、1機しかない。
マリオのようにデフォルトで3機くらいあればもう少しのんびり構えていられるが、人生は1機しかないし、1upキノコも私が生きている間にはなさそうだ。
有限であることは悪いことではない。
お金稼ぎは上を目指せばキリがない。
つまり満たされるのが難しい。
でも有限ならその中でベストを尽くせる。
子供たちと時間の有限性について、語ってみるのも良いかもしれない。
子供たちは私たち大人と全く違ったスピードで私たちと同じ時を生きている。